「お前らは正しい だが、気に食わん」

  武井宏之「シャーマンキング 」12巻より、麻倉葉


シャーマンキング (12)
シャーマンキング (12)
posted with amazlet on 06.05.24
武井 宏之
集英社 (2000/12)
売り上げランキング: 177,950


 http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/05/post.html


 松永氏へのインタビューでの最後のインタビュアーである佐々木氏のエントリ。
すでに150以上ブックマークがついているし、本題の部分についてはパスする。
ここで扱うのは二点。専門性とこのインタビューが見せてくれた効果についてだ。


 一点目。専門性。このインタビューは要するに特権的なものの解体を期待した
けど騙されたっぽくて期待外れだ、と言っている訳だが、果たしてその問題意識
自体どの程度本気で考えられているのか、怪しい。というのは、この文章はよく
見る間でもなく、単語にある格付けを箔付けに利用しているからである。それは
とても「フラット」なんかじゃあない。フラットにしたいと本気で考えるのなら
そんな格好つけた言葉なんて使うべきじゃあない。思想家の引用も避けるべきだ。
そうすれば内容が薄くなると思う向きもあるのかもしれないが、その辺こそ工夫
しがいがあるはずだ。「絶対的正義」への違和感ならこのエントリのタイトルに
引用した麻倉葉の台詞だけで十分だ。これは漫画の台詞だが、勿論単に漫画好き
だから引用したって訳じゃあない。重要な事は自分自身の咀嚼能力と示すためだ。
それがなければどこまで言ったってよく解らんものへの恐怖を乗り越える事など
出来るようにはならない。専門家に乗り越えられるというだけでは解消されない
問題というものはある。こと著名なブロガーとしてよそのブログと交流のあった
松永氏に対して、それらブログ界隈がどう反応するかと言うところは全く私的な
話でしかない。そんなところに専門家が介在するだけですでにそもそもの関係が
破綻してしまっていると言う事になる。理想を言えば私的な関係においてもなお
問題の解消がそれなりにスムーズになればいいのだが、そうすぐにゆく訳もない。
だから、この佐々木氏の書き方は趣旨にも反していると思えるし、気に入らない。
正義についての議論もしようと思えばそれなりに出来るけれど、まず箔を取って
からにして貰わないとやりにくい。この辺はjo_30氏やSchwaetzer氏の平易な言葉
遣いに比例なんてしない、中身のある議論を読まれれば解るのではないかと思う。


 また


 特に哲学の議論で言えば「存在」や「魂」や「絶対」などの専門用語は余りに
奥深いのでまず振り回せない。振り回しているようで実は重要な議論だから参入
しづらくして議論の精度を保つ場合も勿論あるが、箔付けに使われやすい言葉だ。
そして、さらに言えば、参入しづらくしている事の効果は考えられるべきだろう。
というのは、これら哲学なんていうものは歴史的には舶来品の域だろうし、まだ
十分社会的な咀嚼を経ていないのではないかと言う気がするからだ。この事は
勿論専門家を介さないでよく解らんものと向き合う社会の余裕に直接関わる事だ。
つまり、もう一歩踏み込んで言えば生活を脅かしうるものへの免疫に関わる事だ。
そういう意味で、フラットがどうのと言うなら、語り口はフラットで内容のある
議論を行うべきだろうと思う。それをネットでばら撒くなら相応には免疫になる。


 そして


 二点目。本題であるオウムの部分と関わるが、まあ、ありていに言えばこれは
叩かれて仕方のない書き方をしている訳で、存分に叩かれれば良いだろうと思う。
そうなる事で「三人のインタビュアー」の内で一人だけは無事っぽかった辺りの
面目もようやく立つようになるのだろうという気がする。これも私的な関係の事
だが。そして、そうじゃあなくて他の人らにとって意味があるのは、佐々木氏
と言う踏み台を使ってわらわら発言が出てきたと言う事。そこにはある程度この
話題が咀嚼されて「安心して発言出来る」という無言の表明があるように思えた。
勿論ここにも「ハードルの高さはこれで良いのか」と言う問題がありはするけど。