何かへの意志

 さて。
 またしても迂回路から見てゆく事にするが、引用はやめておこう。
 

 誠実さとは言うなれば真実への忠誠のようなものであり、信用
 ではない。というのは、誠実さそのものはスタンスに過ぎないが、
 信用はその結果だからだ。逆に言うと、信用の出来ない相手に
 対してさえ誠実さがないと断じる事は出来ない。単に見えない
 だけかも知れず、見えない事と存在しない事とを混同するのは
 真実に対する不義である。同じ事で、信用出来るからといって
 相手が誠実じゃあない事もある。世の中に理不尽があるように。
 そして世界にさえ理不尽があるように、自分自身に見える事に
 理不尽があってもまるで不思議じゃあない。信用出来ない相手
 にだろうと、誠実さを見せずにおられないと言う事もままある。

It's crazy but it's true,I only wanna be with you

アリー・myラブ サウンドトラックより「I only wanna be with you」


 そして誠実さは態度でありスタンスだから、それを求める事は
 容易に操作にも行き着く。何故といってどんな結果が出たって
 なお誠実さを求め続けられるからだ。結果を求めていない相手
 には全く注意が要る。相手がそいつ自身に誠実なのか注意を
 すべきだ。そいつ自身に誠実でない相手は、何をしたって満足
 せずにごね続ける事もありうる。同じ事は公然と罵る相手にも
 言える。まずは公然とした罵りが正当化される状況を考えよう。


 それは例えばこんな状況だ。特殊な呼吸を使う拳法が弱点の
 未知の生物が暴れており、ナチスもなす術なくなっているのに
 その場の中でその拳法を使える唯一の男が結構ノンキしてて
 「ハッピーうれピーよろピくねー!」とか言いながらその危険な
 生物に自己紹介してたりするような状況。この状況なら相手を
 罵倒しても正当化されるだろう。つまり切羽詰った状況である。
 だがここでも、自分自身に誠実でない奴は、さほど切羽詰って
 いない場合でも、罵る事が正当化されうると内心考えるだろう。


 重要な事は、まず何よりも自分自身に対して誠実になる事だ。



 さて。
 Bait_Assalam氏からトラックバックが来ているが、内容的に
 見るべき部分は少ない。何故ならそれが自責の吐露だからだ。
 僕は氏の友人でもないし、職責から擁護すべき立場でもない。
 だから氏の自責に興味はない。関心があるのは問題解決だ。
 だが少しだけ言うなら、その自責は「みんなが悪い」といった
 安易さと同様に、具体的な問題点を覆い隠してしまうだろう。


 その上で言えば、BigBang氏による脱会認定云々のくだりは
 問題だろう。その認定についてがつまびらかにされているのか
 という点もそうだが、何より「自発的に訂正させる」という考え
 自体が問題だ。それは相手に「誠実さを求める」事だが、その
 危険が認識されていたとは思えないし、公然と問題にした事
 について十分な始末がつけられているとは思えない。それは
 個人的な信頼がどうだとか言うお話とは別の事だ。問題点が
 十分解消されたと考えているのなら、それを誠実に述べる事
 で火消しに努めるべきだ。そしてまだ問題点があると考えて
 いるのなら、少なくともその整理分析は誠実にしておくべきだ。
 さて。