Lost in Rust LOG


 さて。
 佐々木俊尚氏の「フラット革命」についてはすでに読了したが、それについて
 書く前に少しばかりこの問題について見る事にしよう。まずは引用しておこう。

私の残している仕事はことのは関連の過去エントリーの総
見直しと削除やコメントの付加です。それがどのような範囲
になるかは、当然ですが自分で判断して自分のペースで進め
ます。(緊急性のあるものは言っていただきたいと思いますが)

BigBang氏のコメント

 このようにBigBang氏自ら書いているので緊急性のある点を指摘してみよう。

「終わり」は人為的にもたらすものではなく、気が
つけば「終わっていく」ものだと思っています。

BigBang氏のコメント

 このコメントが問題だ。この発言については今すぐにも見直されるべきだろう。
 何故ならこの言い分は疑問を発したのが誰なのかという点で無責任になろう
 とするものだからだ。これでは自分の疑問について自分では終わりを与える
 事が出来ないかのように読める。それはeshek氏の言葉に応えにならない。


 このコメントが取り違えているのは、eshek氏の言う「終わり」の意味である。

「全体で醒めて」という意見もありましたが、全体で醒めることは
おそらくないでしょう。個々が個々の疑問を解決したら去っていく。
それが自然だし、そういうケースが多いようです。

eshek氏のコメント

 つまりここで言われている「終わり」というものは常に個人的な立場のものだ。
 BigBang氏は何故かこのコメントを拡大解釈しており、eshek氏のコメントの
 核である責任の限定について取り違えている。間違った解釈を次に引用する。

eshekさんは繰り返し同じことをおっしゃっていて、それはある「終わり」の
形を、早くこの問題に対して与えなければならないということだと思います。

前掲コメント

 これは全くの読み違いである。eshek氏は確かに合間合間に事の終わりにも
 言及してはいるだろうが重要なのはそこまでのコントロールは出来ないしする
 べきでもないし、もう少し言うなら出来るべきでもないと知る事だろうからである。
 何故自分一人の問題意識に立ち返らないのか。聞かれている事はそれだろう。


私たちの筋としては、提示した疑問がクリアすればそれで
終わり。それ以上関わるべきではない。そう思っています。

同上

 聞かれているのはシンプルな事だ。自分自身の疑問は解消されたかどうか。
 それについて応えうるのはBigBang氏であり、またそうであるべきであろう。
 例えば書かれたものからその内心深くまでを読み解く洞察力があったとして
 そういった能力は基本的に下劣だし、それを用いるに相応しい資格は滅多な
 事では得られまい。その能力は自他の権利上の断絶を踏み越えうるからだ。
 殊に誰もが好き勝手に発言するネットではそうした能力は恥じられるべきだ。


 だから
 BigBang氏は、自分自身について自分で始末をつける必要を認めるべきだ。
 その必要性を「全体として事が終わる現実味」に取り違えるのはすり替えだ。

 
 勿論
 公正にいってすでにBigBang氏がその点に言及している事も記録にはある。
 このエントリの冒頭で引用したコメントがそれだ。過去のエントリ群を見直す
 必要性について確かにこのコメントは述べている。それが述べられてはいる。

 
 それを読んでなおeshek氏が話を続けた理由については知らないが、僕に
 ついて言えばそのコメントの発言ではまず信用出来ない。その理由を示そう。

私が「まとめ」を出す時期は私の内面の問題であり、それが早急に
なされることで、続いている混乱が解決するとは思っていません。

前掲コメント

 ここに「私」と「事」の癒着が見られるからだ。公的な状況に参加してゆく個
 として公的な問題に関わるステップを積み上げるのではなくその内心から
 茫漠たる「事」へと短絡させている。しかもその上で私的な事情を「事」より
 優位においている。この態度は自分自身の分を余りに大きく見過ぎている。
 一般的にいって私人の内面が公的な状況下で暴かれない事は無論重要
 ではある。だが自分で選んですでに表現した事はその限りではないだろう。
 だから自分の表現については自身の外面の問題として引き受けるべきだ。

  
 最後に

さらに私のまとめが出ることに何の意味があるのか私にはわかりません。

前掲コメント

 端的にその意味を言えば、それはBigBang氏の出した疑問を多少なりとも
 理ありと見た人、無論それは松永氏自身をも含みうる色々な人々に応える
 という意味がある。それをしない場合その人たちをいつまででも錆びついた
 過去ログに彷徨わせる事にもなりかねない。BigBang氏の真意を探してだ。
 それは自分から進んで問題を提起表現した者としていかにも無責任だろう。