Subject In PUBLIC

 さて。

「公」という言葉が何か拡大解釈されて一人歩きしているようだ
が、「公」とは当時ネット空間、つまりブロゴスフィアを指していた。
特定の個人だけで集まって「内々に」説明を行い、解決をつける
ことは不明瞭であるので、ネット上で公開して議論しようという
意味合いで発言した。(このあたりは佐々木氏の「フラット革命」
でも採録されている)それが、私の姿勢や発言を自分で「公的」
であると言ったとか、「自分が公だ」と言っているなどという曲解
は、私の主張の歪曲を目的にする解釈であり全く根拠がない。

うーん - AnotherB

 BigBang氏のこの手の小手先技はすでにここでも指摘済みだといえるだろう。
 BigBang氏の「行動」はすでに公共性の代弁を内容上含んでいる。その点の
 指摘はすでに示したリンクで十分だろう。お望みならもっと具体例も示せるが。


 ともあれ
 ここではこのロジックの破綻を示そう。これもBigBang氏の発言の常だろうが
 自分自身のスタンスの揺らぎにちっとも自覚的でない。そしてその上自分の
 意に染まぬ解釈をその解釈者の恣意だとしか受け取れていない。だが実際
 自ら発言を見直すと約束した人間のそうした態度は、やがて信用を失わせる
 だろうし、もっというと良好な関係を叩き壊し回復不能にさえしてしまうだろう。


 そして
 ロジックだが、まずはここで言われている言い分が奇妙だ。この言い方では
 まるで「公」に関するBigBang氏の発言が言質とされ、逆に言えばその行動
 こそがそのように批判されているのではないかのように見える。だがそうか?
 そんなみみっちい見方しかしていない人が誰かいるだろうか。何故その行動
 そのものへの批判として受け取らないのか。誰かそんな限定された引用でも
 しただろうか。いずれにしろ、あるものならまずはそれを示してからの事だろう。
 
 というのも
 ここでいきなり「当時」などといった謎指定が出されているからだ。それは誰と
 共有された時間指定だろうか。あるいは誰と共有されうる時間指定だろうか。
 こうした極私的な指定を公然と振り回す点こそ勘違いなのではないだろうか。
 この極私的なスタンスで「内々」ではない話をしようというのだから、それは
 ハタから突っ込みも来よう。言葉がところどころで物凄く「内々」に向いている。
 その点の例も上の発言にある。それは、当の解釈者の行動理由を何故だか
 実例も示さず読み解き終えた気になってそれをいきなり前提にしている点だ。
 何故ここでこそ自分の発言を見直さないのか。何故相手の発言の根拠をさえ
 聞きもせず決め付けるのだろう。何故そんなに「内々」の言葉を出せるのか。

「公共性を代弁」する事には相応の慎重さが求められる。

「雨、蒸気、速度」 - 売文日誌


 で
 実際のところ私的な関心だといいだせばこれまでの「問題」なんて瓦解する
 だろう。そんなのは個人的に聞けば済む。そうじゃあないというなら、それが
 公然と問題にされなければならない理由を説明出来なければならない。そう
 であればその問題がどう公然性に関わるのかを説明すべきだ。それもせず
 公然性について論じられる事を拡大解釈だというのはいかにも身勝手だろう。