混ぜるな危険

 さて。
 続いてやはり関係のないような話を扱うが、実際別に無関係
 ではない。最後まで読めば解るだろう。ともかくも引用しよう。

正義のはずの被害者のいうことを鵜呑みにして、被害者の
主張をそのまま責任者にぶつけて交渉すると、どんどんボロ
がでてきて、擁護しているボクの立場がヤバくなりました。

職場のイジメの被害者を助けてあげようとして、酷い目にあいました - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

 
 エントリの要点はここだ。あとは贅肉だ。つまり、間違いもここ
 にある。問題はここに描写された振る舞いは全然擁護だとは
 言えないと言う事だ。というよりも、むしろこれはマヌケである。
 何故これが擁護と言えないかと言うと括弧付きの「被害者」の
 言い分を単純に告げ口しているだけなのと変わらないからだ。
 ポイントは代理しているものが代理者の責任で喋っていない
 と言うところだ。括弧付きの「被害者」の素振りからどの程度
 冷静なのか見て取れるだろうに、その点を割り引かないのは
 単にマヌケだ。それは括弧付きの「被害者」の落ち度なんか
 じゃあなくて、安易にしゃしゃり出てきた奴個人のマヌケさだ。


 火薬に火を近づければ爆発するが火も火薬も悪い訳がない。
 両さんが酒に近づけば両さんは飲酒する。両さんも悪くなくて
 酒も悪くなければ、要するに、酒と両さんの組み合わせがよく
 ない訳だ。その組み合わせをくっつけない事がポイントになる。
 つまり最もろくでもない擁護とは相手の主張をそのまま伝える
 事だ。それでは燃焼反応を広げているだけだ。まさに火に油。
 
 
 重要な事は両当事者の言い分のどことどことがよくない反応を
 起こしているのか突き止める事だ。その上でなければよくない
 反応を起こさせないようにする事は難しい。勿論組み合わせを
 作らないようにすれば話は別だ。だが大抵その組み合わせは
 一方の思い通りにはならないようになってしまっている。職場
 なんてその際たるものだ。それを考えなければ擁護じゃあない。


 つまり、上のエントリは、擁護なんて出来ていないだけだという
 自分の誤りを「被害者」の側に転嫁して遊んでいるだけである。
 ポイントはそもそもの当事者じゃあないからそれなりに冷静な
 裁定も出来たはずなのにそれをせず「自分の被害」についてを
 言ってしまっているところ。もっと単純に言えば、火遊びをして
 自分も火傷したところだ。そして火傷したのが火遊びのせいだ
 とは考えていないところだ。しかし火が火薬を爆発させずには
 おかないのと違い、そもそもの当事者ではなかった部外者は
 選ぶ余裕があったはずだ。それは職場を離れるとかいう空想
 的で抽象的なだけの可能性より、もっとずっと現実的にである。

 

 そして何よりマヌケであるのは、自分が火傷をするほど火力を
 強くしたのに、その火がそもそもの当事者にどう影響したのか
 考えていない点だ。自分の火遊びに他人を使用している点だ。
 本人は「諧謔諧謔ゥ!」とか「メタメタのラッシュ」が決まって
 いるとか考えているかもしれないが、火傷は自業自得としても
 他の火種に火をつけたマヌケさは全く擁護しようがないだろう。
 それについては形ばかりの謝罪でなく現実的な火消しが要る。 
 それなのに前者を選んだ場合、そいつ自身の自己憐憫と自己
 憎悪とが透けて見える事になる。そいつは放っといても苦しむ。



◆翌日追記:「おおっとここでネタばらし」
 余り気は進まないが、礼儀上ブックマークコメントに応えておく。
 こっちの関心は火遊びの不始末のみ。火種に興味は余りない。
 こちらに論難の調子を見て取るのは妥当だが、それが意図を
 証だてうるとか、あるいは意図を問題にしないほどに悪いとか
 と言う事が言われない以上、特に言って差し上げる事はない。
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