子どもと結婚
さて。
ここでする話は全然別の話のようだが、最後まで読めばそう
ではない事が解るだろう。ともかくもまずは引用から始める。
企業は新卒を採用するので、最初のタイミングで
30歳から34歳が受けた心の傷
躓いた人はもう就職の希望はほぼ途絶える。
このエントリを発端としていくつものエントリが書かれたが
ここで扱うものは次のエントリだ。これもまずは引用しよう。
彼らの最初のターゲットは教育の大改革だった。子供たちを幼いうち
2010年、マッチョ主義によって日本社会のとてつもない大改革が始まり、人々の生活が根底から変わりはじめた - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ
から、骨の髄までマッチョ思想で鍛え上げるのが、彼らの目的だった。
勿論問題点は全く自明だ。論理矛盾も破綻も全てここに
ある。ブックマークを読んでも全然ツッコミがないようだが。
コントラストのために、次の文言まで引けば解るだろうか。
マッチョの基本は、自分で決断し、自分で
同上
実行し、自分で責任をとることである。
連中の理想とやらはこのように文言化される。だがその
実連中がするとされているのは一体どういう事だろうか。
それは簡単だ。自分たちのケツを拭いて貰うためだけに
ビチグソを出し続けようとする不始末だ。そして、そうした
ビチグソで拭かなければ自分たちのケツは綺麗になど
ならないと喧伝している。そして、彼らはよく知っている。
汚辱と侮蔑と嫌悪の中で生まれた次世代が前世代を
洗浄せずにはいられなくなるだろう事をよく知っている。
何故洗浄しなければならなるかと言えば、こうした洗浄
計画こそ自力などから遥か隔絶した他力本願だからだ。
それは子どもらに伝わるだろう。自己憐憫と憎悪の形に
翻訳されて。主義者のそんな自己憐憫を見抜いた上で
子どもたちは押し付けられたケツ拭き仕事を想像以上に
よくこなすだろう。彼らにとってはそれが自意識の根本
だからだ。主義により自己など持たないよう育てられた
彼らにとっては、それが侮辱だと理解する事にさえ枷が
施されている。要するにこの洗浄計画は自分の子ども
と結婚しようとする事よりもなお下劣なものでしかない。
精神的に劣位のものを自分のご都合で操作しようとする
この下劣さは、結局のところ、綺麗にされる必要がある。