まわるまわる

 きれいな矛盾だね はたからみれば

中島みゆき『MERRY−GO−ROUND』

 さて。
 事の始末は年明けを迎えてなおその気配を見せない。だがこれが問題の
 沈静化を意味する訳ではない事には、今更ながら注意しておくべきだろう。

 
 この事は、例えばeshek氏のコメントが公開許可されている事を見れば
 解るだろう。コメント欄の一番下に書かれているように、そのコメントには
 単に書き手の意志のみならずブログオーナーらによる承認も刻印されて
 いる事になる。つまり、当のブログは放置されていない。すでにここでも
 予示しているように原則的に全て承認される、という事もないようである。
 となると今の停滞が撤退を意味する事はないと考えるべきように思える。


 そこに意図や意味があるのかどうかはともかく、利用可能な図式はまだ
 この場に残されている。たとえ図式の機能が使用されない限りは次第に
 図式そのものが見えにくくなるとは言っても、その事がそういった図式の
 存続を正当化する訳では決してない。むしろ話は逆だ。いつでも誰でも
 利用可能な図式の潜伏はやがて固定化に至るだろう。それは正当化と
 正反対の方向だ。そうした図式の固定化こそ予め何らかの理路で正当
 化されているべきなのであって、図式の固定化をもって、図式の正当化
 ででもあるように考えるのは錯誤の極致だろう。勿論、図式の安定化が
 事の解決なんかとは程遠いのは今更言うまでもない事のはずであろう。



 金持ちはそうでないものにただ近づかない事で自身との差異化を図る。
 金持ちではないものがするようにわざわざ自分の意志なんて示さない。
 

 いま行われているのはそういう事だ。行っているものたちにそういった
 意図があるのかないのかはどうでもいい。そうした意味があるからだ。
 そこから降りる方法は限られている。続けたくないのなら終わらせるか
 逃げ出すかどちらかだ。その図式に自分自身を配置したままでいる事
 にこそまず気がつくべきだ。現状維持は問題の深化を意味するのだ。
 

 そして逃げる方法は明らかだ。この図式そのものを利用しえない状況
 へと自分自身を追い込む事だ。つまり少なくともその図式に参加した
 際の経路を自分で除去する事であり、それを公然と明示する事である。
 そして終わらせるためには少なくとも図式に参加した事について明示
 的に内省し公開する事くらいはすべきだろう。少なくともその程度は。

 
 それ以外は、たとえば、ダメージの総量を見比べるといった事をしても
 少なくとも無意味である。それは口火を切った側を忘れる事になるし
 口火を切った理由を無根拠に正当化する事にもなる。勿論、いずれか
 一方が己を忘れる程である場合にはその限りでもないだろうが、今の
 場合はそうではない。内省する時間はあるはずだ。そしてダメージの
 総量を天秤に掛けるような振る舞いがその正反対であると知るべきだ。
 それが悪意ある図式の維持に餌を与えていると言う事を自覚すべきだ。