Not YOUR God
「運命を恨んではいません。贈り物です。だからそれに報いなくては。」
マトリックス・レボリューションズ
さて。
時が過ぎてきたという事ならもはや繰り返すまでもない事となってきただろう。
ここで記述すべきなのはその中の動きだ。例えばそれは時効を目指す動きだ。
で、カーストについてちょっと話をした。これがまた要領を得ないので記憶も
倫理的に劣っていそうな一群の人々について - finalventの日記
たいした像を結ばないのだが、ようするにカーストごとに生活様式があり、
それはそれでいいのだ、みたいなものだ。うまく言えないのだが、倫理的に
劣る人々がいてもそれはそのように宇宙がそうなっているのだみたいだった。
さて。
ここにあるおぞましさを理解出来るだろうか。このおぞましさは、端的に言えば
神様ごっこのおぞましさだ。宇宙にとって低劣な倫理は何程でもないだろうが
その事と自分自身にとってどうかと言う事を混同するのはいかにも低劣だろう。
宇宙にでもなったというのならそれだけの恩恵をも同様に与えるべきだろうに。
それをせずに宇宙気取りの見て見ぬフリだけするのであれば果たしてそれが
誰の利益に繋がる事か見て取るくらいはすべきだろう。せめて倫理を問うので
あれば。殊にここでは低劣な倫理と共犯的になりゆく事が果たして自覚的な
事かどうかだ。結論から言えばそれほど自覚的な判断だとは思えないのだが。
何故それほど自覚的な判断だと思えないかといえば、節々に見られる用語法
から自覚の痕跡を見出せないからである。その用語法とはまず次の用語法だ。
こうした問題を倫理なりモラルを問う形で議論するのは間違っている。
モラルの低い人を傍観する時: 極東ブログ
ここで着目すべき表現は「モラルを問う」という用語法である。この用語法には
緊張感が見られない。ここで意味されている事柄は果たしてモラル「を」問うて
いるのだろうか。その内実を、その構成を、あるいは他の何かをきちんと問うて
いるのだろうか。それとも単に倫理的な非難をするだけだろうか。後者であろう。
つまり、ここで行われているのはどちらかといえばモラル「に」問うているだけの
事だろう。単に「それでいいのか」とそいつのモラル「に」言っているだけだろう。
ここには個々のモラルが何故必要になるのかという顧慮がそもそも見られない。
あるのは単に非難の口実としてしか機能しなくなった惨めで哀れな残骸である。
次に
その他、社会で見かけるモラルの低い人を、なんというか、
同上
許すようになった。というか、傍観するようになった。それでも
雨の日、傘をぶんまわす人は危険性ということで許せない。
ここで決定的なのだが、モラルとその必要性が切断されるように、低劣さとその
効果との関連も切断されてゆくようになっている。それは次の事に明らかだろう。