暗黒空間の軌跡(亜空の瘴気 ヴァニラ・アイス その⑤)

 さて。
 事は続いている。終わってはいない。それは終わらせるに足る意志の
 表明がなされていないからだ。現状に見られる停滞は惰性でしかない。
 そして惰性は信用ならない。それは気紛れの伏流にもなりうるからだ。
 気紛れは期待を裏切る。それは期待と安心を奪う。心の安定を損なう。
 人を巻き込んでいる状況で、そのような態度の持続は破廉恥であろう。

 
 ともあれ
 ここでは特に見過ごしがたいいくつかの事を指摘して記録に留めよう。

「宇宙は寛大だ」

破壊魔定光 12 (12)

地球全体が高熱化していくのが、人間「ごとき」の影響
で、それを人間「ごとき」が止められるというところの、
そのへんのあたりがどうも、すっきり頭に入らない。

地球温暖化に関して、ふしだらな思いを抱く。 - AnotherB

 ここで見過ごされているのは「高熱化」の尺度が何なのか、という点で
 ある。宇宙にとっては数百度ごときの温暖化はどうって事はないはず
 である。星が消えようがどうって事はないはずだ。従って、考えるべき
 事はここで「高熱化」を問題にする視点がどこなのか、という事である。
 答えはスフィンクスの謎と同じである。つまりは「人間」そのものなのだ。
 つまり人間ごときにとって問題になる事を人間ごときがやらかしている
 という構図なのである。つまり、ここで氏の文は因果の一方を恣意的に
 強調している。その強調が無意味化を行う梃子となっているのである。
 つまり、この読み方は自分から責任を取り除くトリック染みているのだ。
 
  
 さて。
 この話題自体にはさしたる興味はない。重要なのはそのトリックであり
 そしてそのトリックが欺瞞的な無力感を造りだしているという点である。

 
 つまり
 懸念されるのはこうした欺瞞が予告を裏切るように仕向けるかどうかだ。
  

隠されたもの

安住の地である薄汚い部屋に帰ると、彼は、「どうしてこうなって
しまったのだろうか?」と嘆息を吐きながら、故郷からの仕送りで
手に入れたパソコンに対座して、「殺意が湧くのだが」などと力
強く書き込む。彼にとって、ネットの中は、桃源郷である。可視
可能である不健康な肢体は、外部から対象化されることなく、内部の
コンプレックスは深奥に秘匿する。無意識の所作である。

ワーキングプアにもなれなくて・・・ - けろやん。メモ

 雨蛙氏の文だが、この文章自体が御堂岡氏のかねての誤りと相似
 的だというところにはどれほど注意が払われているのだろうか。この
 文の参照を制限する事でもっともらしさを得ている辺りが問題なのだ。
 それは「真実」を、それも括弧つきのそれを独占する振る舞いである。
 しかもこうやってネットに乗せる事で間口だけは広く確保しようとして
 いる。これは全く御堂岡氏のおかしさと同根である。御堂岡氏は随時
 自身の専門性に言及し、それをもって他の意見や立場を退けようとも
 してきている。素人はすっこんでろ、というのは至極勿もな発言では
 ある。だが実際御堂岡氏はこの問題自身をネットから取り除こうとは
 してこなかった。つまり素人がアクセス可能な位置に問題を残しつつ
 それに引き寄せられた素人を退けようとするのである。そしてそこで
 重要なのは「素人/玄人」の尺度がやはり隠されたままだという事だ。
 ネット外で接触しなければ解消できない問題ならそもそもネット上で
 扱うべきではないはずなのだ。ネット上では誰でもが好きに発言する
 からだ。つまりネットで野次馬が群れるのを妨げずに専門性ばかりを
 要請するのは実に異様な行動なのである。これもトリック染みている。
 
 
 そして
 この雨蛙氏の振る舞いも実際異様である。ネット外の身体が対象化を
 免れているという基本的な事柄に言及しているようでいて、その実は
 必ずしも表現されている訳ではない内心の覗き見から暴露をしている
 からである。そうした括弧つきの読心術はやはりトリック染みている。

オカルト (occult) とは、元来は「隠されたもの」という意味のラテン語に由来
する表現であり、目で見たり、触れて感じたりすることのできないことである。

オカルト - Wikipedia

隠しゆくもの

「ネットから戦略的退却をしてリアルでのみ動き始める」
あのね、動かしたとか自慢そうに語る局面ではないの
ですよ。重要な監視対象というだけのこと。注目すべきは
「戦略的撤退」という単語である。自殺未遂(と呼んで
いいか疑問であるが)が本意ではなく、単なる戦略、
すなわち擬装もしくは偽装であったことをこの書き手は
主張しているのであった。(改行はj_m_w_tによる)

認識の致命的なズレ: 黒崎夜話

 さて。
 実際これは酷く異様な文である。次のような具体的な状況を想像して
 みよう。年末進行を目前に控えているところでうっかり風邪をひいた。
 症状はまだ大した事はないが、大事をとって今休んでおく事に決めた。
 「戦略的撤退だな」とかどっかで誰かが言っていた。それを聞きつけ
 その戦略性をズルやサボりめかしていう奴が出てきたらどうだろうか。
 
 
 ともあれ
 全くもってこの認識のズレは致命的なものとなりうるのだろう。無論
 そこで懸けられる命は発言者当人のそれではないのだろうから、ここ
 ではそのトリックに着目しなければならない。それはおよそ自分から
 責任を取り除く欺瞞であり、さらに「真理」の独占を伴っているだろう。