ワナビー/罠 BE

私には上記文章がわからない。つまり、私には
理解できない。だが、諦めるのはまだ早いと思う。

そういえば、難問を与えられていたのだった。 - けろやん。メモ

 雨蛙氏からのトラックバックの要点だが、簡単に言うならデグチ・ホソナールの
 ように見えるという事だ。関心を引く間口を広く取っておきながらそれについて
 深く知ろうとする方法を極端に制限しておく方法をとるなら、そもそも関心を引く
 事そのものが罠か餌かって事にもなってしまう。知る方法が極端に制限されて
 いればそれについて知ろうとし始めた奴を罠に掛けるのは非常に容易いからだ。

 
 具体的に言えば御堂岡氏がそういった人間かどうかを「実際に」確認するには
 雨蛙氏の方か御堂岡氏の方かどちらかとネット外で接触をする必要が出てくる
 だろう。そしてその確認を経なければ御堂岡氏についての発言が嘘かどうかも
 解らない。よくよく知られた噂話も正しい事とは限らない。よくよく知られただけ
 だという事なんてままある事だ。だからその発言に反論する方法さえ限られて
 くる事になる。いかにも罠くさいやり方に従わなければ反論さえ出来ない訳だ。


 そしてそれでいてその発言を見過ごしていいとはとても思えない。内心の暴露
 になっているからだ。御堂岡氏のような人間に対するものとはいえ、見逃せば
 前例になっていってしまう。勿論その罠くさい反論封じの方法も一緒にである。
 hankakueisuu氏によるなら「嘘でたらめとご都合主義のインターネットでは
 貴方の情報格差、経験は一切の効果を持たない」と言うべきところなのだろう
 が、実際のところ「ありもしない情報格差」さえ効果を挙げる事もあるのである。
 当然正当な情報格差も効果を挙げられる。それは人を引っ掛けるのに役立つ。


 これは松永氏によるwikipedia関連の話とも繋がるが、要するに情報の安全
 性に関する問題なのだ。インターネットでは使用者相互の不信感を解消する
 ため真実は金繰り捨てられている。それは安心感のために犠牲にされている。
 勿論安全と安心感とは全然違うものである。安全は事実の領域にあるのだが
 安心感は印象や感情の領域で揺らぐ。そんなもののために正しさを犠牲には
 出来ない。そこでとりうる選択肢は実際いくつかあるだろうが、僕はその前提を
 取り除く方法を選んだ。つまり目に留まる限り罠くさい発言を取り除く事である。
 使用者相互の不信感を抑えられたなら当然不信感の犠牲も減らせるはずだ。

翌日追記:なんだ

 さて。
 返信トラックバックが来ているが、どうもといったところである。そこでは何だか
 「ネット外での接触」についてこちらが主張をしているかのように読み取られて
 いるようだが果たしてその読解は正確なものかどうか。その種の接触要請を
 してきた相手が誰なのか。端的には御堂岡氏だ。そして、僕がその御堂岡氏
 に誰をなぞらえたのか。端的に言えば雨蛙氏だ。ネット外で確認しなければ
 反論さえ出来ないような方法を使ったからだ。そこでネット外で確認してさえ
 有効な反論の難しい事例の話を出してきても全然何の解決にもなりはしない。


 雨蛙氏のこの文章は全く混乱している。そもそもこちらの主旨について「逆に
 言えば」といっているところがおかしい。そこで言われているのは全くの「逆」
 であり、こちらの立場とは「逆」のものだ。それにも関わらずその「逆」の立場
 についての危険性を雨蛙氏はこちらのものででもあるかのように書いている。
 無論主旨をそのまま反映しつつ言い換える事で裏打ちをするような場合にも
 「逆に言うと」とは言うが、ここでの雨蛙氏の言い換えは主旨を正確に反映
 している訳ではない。むしろ「逆」にしている。正確に主旨を反映しつつ言い
 換えるなら「ネット内で解決の見込みがある問題をネットで扱うべき」である。


 もう一つ。psycho78氏が松永氏と同一人物かどうかなどさして問題では
 ないだろう。何故なら重要な事はその同一性がどうだろうと当の発言者に
 対し反論出来る事の方だからだ。psycho78氏の振る舞いに対し文句を
 つけようと思えばさしあたりpsycho78氏に対して言ったら済むからである。
 そしてその反論によって問題の振る舞いを取り除けさえすれば正体なんて
 どうでもいいのである。そんなのは内心の問題として発言者が抱え込めば
 いい。たとえ嘘言って読者らを騙していようとそんな事は知った事ではない。
 その二面性が「仮にあったとして」そんなのにわざわざ付き合う必要はない。
 そしてそうした手法で不都合が出るのなら、その問題をネットで扱うのには
 無理があったという事だろうから、つまり問題そのものを放棄すべきだった
 という事だろう。そうであれば問題に関連した事をこの期に及んでぐだぐだ
 続けている向きに対して制止と自制が作用しなければならなくなるだろう。
(追記後ほぼ同時刻修正あり)