姿なきスタンド(亜空の瘴気 ヴァニラ・アイス その③)

「片付かない気持ちの話  おとこともだちに打ち明けたら
 答えや指示を急ぐ余りに なお散らかしてくれるばかりね

 こんな夜中に必要なのは  普通にそばにいてくれること
 確かにそれもアリかもねって   そばで思ってくれること」

中島みゆき「ナイトキャップ・スペシャル」


 さて。
 BigBang氏のところで2月23日の話し合いについての記録が公開されたようである。
 無論、これは氏がそう述べるように正確な記録ではない。そもそもが記憶に基づいて
 描写されたものだからであり、逆に言ってその場の記録に基づくものではないからだ。
 しかしながら、 一方の当事者松永氏の確認を経ているという記載から常識的に考え、
 相応に正確なものだと「見做す」事にしよう。しかしここで重要な側面はそこではない。
 
 
 ここで重要な事はその表現に指示される限りでの内心である。その表現は自主的に
 なされたものであるから、そこで心理を読み解かれる事も当然先刻承知の事だろう。
 そこで読み取られるべき事は以下の引用を見れば自明だろう。とりあえず先に示す。

BB「何を言われても気にしないで、とにかく手記は書き続けていくという
  のはできないものですか?僕は途中で何か言うよりも、とにかくあなた
  があれを書き終わるまでは待とうと思ったんですが。きっと懇談会の
  件もそこで出てくるはずだし。その後で僕の過去エントリーを確認
  しながら直すべきは直していこうと思って。でも、松永さんはそこら
  中のブログにいちいち反論しに行っているでしょう?あれはその
  非常に効率が悪いし、第一、あなたが疲れると思うんですよ。」
 (改行は引用者j_m_w_tによる)

FLASH報道から1年・松永英明さんとの対話(2) - AnotherB

松永「というより、特に事件前後のところは、大事なところだから事実
   関係で間違えてはいけない。調べて書いていくと本当に大変。その
   途中で、ああいう風に曲解されて中傷されると余計書けなくなる。」


BB 「思うんですが、本来、中途で公開するというのは無理だったかも
  しれませんね。僕も途中までは、簡単に考えていたけれど、読んでいる
  うちにこれは大変な作業だったんだとわかってきた。松永さんは入院中
  にほとんど書き終えていたのかな?と思っていたんですが。最初はもう
  少し軽く考えていたんじゃないですか?」


松永「そうですね。実際あんなに長くなると思わなかったですね。もっと
   短くまとまると思っていた。」
  (改行は引用者j_m_w_tによる)

FLASH報道から1年・松永英明さんとの対話(3) - AnotherB

BB「もともと、途中で書いては公開し、公開しながらまた書くというのが
  無理な形式だったのかもしれませんね。一気に書いて、全部読んでから
  批判しろと、ばっと出すとか。僕は、とにかく松永さんが書き終わって
  から喋ろうと思って、途中でいろいろ言うのはやめようと思っていたん
  だけど。懇談会のところにもいつか書き進むだろうし、その前の経緯から
  読まないと、部分ではね」


松永「一つの事実を書こうとすると、そこだけ書いたら誤解されるから、なぜ
   それがそうなっているかということを書かなければならない。それが
   積み重なると、あれもこれもとなって大変になってくる」
  (改行は引用者j_m_w_tによる)

FLASH報道から1年・松永英明さんとの対話(3) - AnotherB

 ここに歴然と見られる論旨の重複が要である。無論この記録が正確な順序に沿って
 書かれている保証がない以上、これは単なる誤記の類かもしれないが、その辺りは
 他に何の根拠もないのでひとまずおく事にしておこう。 だがどちらにしろ重要なのは
 ここで確認された事がその当日においてさえ生かされた形跡がないという事である。
 というのも、この「対話」の続きですでにいくつもの質問が投げられているからである。
 だが確認しなければならない事はもっと別の事のはずだったのではないのだろうか。
 それは再開の時期とか内容とそこへ掛けている期待であるべきではないのだろうか。
 そうであってこそ書く者と読む事を期待する者との約束となるのではないかと思える。
 あるいは常識的に言っても具合について十分に耳を傾けるだけでもよかったはずだ。


 それらの事をするのでもなく、何故BigBang氏は「とにかく手記を書き終えてから」と
 何度もいいつつその言葉に反した行動をしているのだろうか。まるで必要に迫られて
 そう口にはしなければならないかのような行動である。言っている事とやっている事、
 あるいは言っている事と言っている事同士、もしくは言いたがっている事と実質的に
 言えている事の落差がここにあるのだ。単純に言えば辻褄があっていないのである。
 つまりそれは決して自戒としては機能していない発言なのであり、 端的に言うなら
 いもしない観客に対する弁明のような調子さえあるという具合なのだ。だがそうした
 視座が果たして重要なものなのかどうか。そんな風にスタンドを意識した視点を持ち
 込んで否応なしに意識をそちらに向けさせる事がさほど必要な事だったのだろうか。
 それよりむしろ「そばにたつ」視点こそ必要だと知る事の方が重要なのではないか。
 あるいはそんな視点がネットなどにはありえないと知る事こそ重要なのではないか。


 どちらにしろBigBang氏のこの問題への態度表明としてこの対話を読む事はとても
 出来ない。従って、この問題そのものの終わりに向けてはさらに何かが必要である。