印象操作について

 まず、一般的に言えば印象操作は非難の対象になって然るべきものである。
それは印象操作が何をするのかと言う事を考えてみるだけで十分理解出来る。
それは「十分な説明をせず」相手に所期の印象を植え付けるという事であり、
ひいてはそこから他人の行動を操作しようとする事である。それが操作だと
いうのは、説明による「納得」を経て相手に「動いて貰う」のではないから
である。従ってそこには「話せば解る」という発想はなく、相手の理解力を
軽く見ているとされても仕方がないのである。舐められたものだという事だ。
勿論現実的には単に気がつかずにそうしてしまったという場合もありうるが、
それにしたところで釈明が必要なのは当然であり、やはり非難の対象である。

 
 ただし

 
 非難されて然るべき状況が「一般的な」場合だというところに注意が要る。
つまり、逆に言えば私的な状況であるとか、私的なアプローチの方法を使う
という場合であれば別に構わないと言う事である。勿論この場合であろうと
「馴れ馴れしい」というところでの非難はありうるが、それはまた別の話だ。


 そして


重要な事は、この公私の弁別である。これから次のエントリなどで触れる
ブログの問題でいえば、それが果たして公共的な場であるとみなされるべき
なのかどうかというところは問題にされて然るべきではある。しかしそれは
個別の問題に付随するものであり、問題に公共性があるかどうかに依存する。
従って、単に場所が私的であるかどうかというところは、問題にはならない。