Freed ISOLATION

それはないぞ・・・!
(It's not fair…)

マトリックス・レボリューションズより、スミス


 さて。
 事の始末はなされないまま、だがすでに現状の黙認はなされていると
 言ってもいい頃合であろう。そこに見るべき事は度し難く忌むべき混同
 である。自分自身の極私的な内面と、表に現れた事象との混同である。

 
 さてこの度し難く忌むべき混同について、さながらあつらえられた例とも
 言うべきエントリがあった。まずはその根幹と言うべき部分を引用しよう。

生まれついた理不尽に怒り、生まれついた
特権に妬む、世界への呪詛がなければ、
奴隷は鎖につながれたままであっただろう
し、フランス革命も起きなかっただろう。

人の世の幸不幸を努力だけで見る者ほど、
貴族にとって都合のよい者もなかろう。

http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20071117/p1

 ここに見るべき混同は明らかだ。さながら革命のためには嫉妬が必要と
 なったかのような転倒した物言いがまずある。しかしこれでは結果論だ。
 つまり今後の個々のそうした反感が何らかの結実をもたらすとはとても
 言えないにもかかわらず何か無責任な旗振りがなされてしまっている。
 少し考えれば解る事だが、自由になる事と自由な誰かを妬む事とには
 別に関連はない。障害を取り除く事とその当の相手に成りたがる事は
 全く別の事だ。勿論後者への努力が前者を与える事ならありうるだろう
 が、それがたまたまの事でないというためのハードルはごく高いだろう。

 
 次に世界への呪詛なるものも全く混同であると言うべきだろう。それが
 その名に値するものでなければ全く混同の結果だというしかないだろう
 が、逆にそれがその名に値するものだとすれば、それが革命を経た後
 解決され解消したともとても思われない。つまり妬むもの自身にとって
 当の革命という結果がいかなる意味を持ちえたのかという観察が全く
 欠けているのに、単に歴史的な事象を結果としてしまっている。ここに
 神様ごっこの下劣さを見るのは難しい事でも不当な事でもないだろう。


 さらにご都合について言えば、妬みに因って奪う者盗む者にとってさえ
 妬みを持たないどこかの誰かは都合がいいと言えるだろうに、何故か
 ここにはそんな公平さが見えない。それが何のご都合かは知らないが。
 
 
 そして最も見やすい混同は妬む事そのものにある。それは自と他との
 幸福を可能性の領分ででも混同しなければ有効にはならない。当人に
 固有の幸福というものを排して、少なくともそいつにも自分にもありうる
 幸福なるものを想定しなければならない。それはありうる幸福に限界を
 設定させる。当然妬みの頻化・深化はそうした限界設定に餌を与える。
 努力すれば報われるとの信念も喧伝されるには牧歌的だが、こうした
 嫉妬を対置する事が果たしてどれほど違うだろうか。まあ疑問である。


 いずれにしろ確かな事はそうした嫉妬が自分自身に組み込まれている
 力の見極めを妨げると言う事だ。それは他の煽動と同じく、有害である。
 それは、マトリックスから出たがっていたはずのスミスが、結局のところ
 マトリックスを「自分の世界」と呼び、なおそれを「虚構」と呼んだ事にも
 似ている。彼は、狂わされた力に自らとその自由とを見失っているのだ。

誰もフェアとは言ってない。タンクとドーザーは
死に、オレは生きてる。カズはフェアだと思うか?

マトリックス・リローデッドより、リンク