キング・クリムゾン

 やれやれである。
 これから書く事は実際非常に下らない話であって、正直に言えば余り書きたく
ない事なのだが、まあ致し方ないといったところであろうか。その辺の事をまず
念頭においてから以下の文章は読んでいただきたい。特にこの文章を皮切りに
過去の論点を再燃させるような事は決してなさらないようにと予め注意しておく。


 さて。
 問題は非常にシンプルだ。つまり「BigBang氏は実名開示をすべきか否か」。
そこで実名開示を求めているのは御堂岡氏。だがその要求は無意味なものだ。


 何故なら

id:BigBangが関わっていると自称する、(彼はどうやら殿岡良美と
いう人物のようだ、はてな事務局の申し出から判明した)NPO法人
インターネットスキル認定普及協会とは何なのでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/requiem7/20061116/1163941503

 このように御堂岡氏は「すでに」書いてしまっているからである。するとこれは
正しく「実名開示ありき」というものである。実名開示を「求める」という主張とか
意見の表明と言う重要なプロセスを御堂岡氏は何故かブッ飛ばしているのだ。
その態度はつまるところ「理由を示す事で相手から納得を取り付ける」「相手の
納得に対して敬意と時間とを支払う」と言ったプロセスを軽く見ていると言う事に
ならざるを得ないだろう。ここまでの事は単なる原則論である。しかしすでにここ
まででも御堂岡氏の行動を正当化する余地はほとんど残されてはいないだろう。


 さらに
 もう少し際どいところまで近づいてみると、この件を松永氏の戸籍名の開示に
比較する事がどれほど間違っているのかが見えてくるだろう。というのも、その
松永氏に関する顛末を結果的に眺めれば相応に相互的な妥協と納得の獲得
に繋がっていた事実があるからだ。それに比べれば今回の件の乱雑さは誰の
目にも明らかだろう。象徴的な点はその問題の所在さえはっきりと捉えられて
いないという事だ。どうも問題点を公人と私人との区別にあると見ている向きが
いるようだが、それは問題の前提に過ぎない。そんなところは問題の入り口で
しかないのであり、そんな点の解消は問題全体からすれば大した事ではない。
問題の要点は単純な事だ。「実名開示が相応しいかどうか」。公人私人の別は
その前フリに過ぎない。しかし現状はどうだろうか。その前フリに関する結論
さえまだ十分に共有されているとはとても言えないにも関わらず、すでに実名
開示は行われてしまっている。しかもその点に関して落としどころが見つかる
気配は全くない。要するに、問題の入り口でさえまだまだ解消されていないと
言うべきなのである。そしてそれなのに、まるで問題解消までのプロセスなど
不要だとでも言うかのようにすでに実名開示はなされてしまっている訳である。

 
 従って、実名開示を先走って行ってしまっている事こそ優先されるべき問題
である。それに関する現実的で理性的な回答がなされて初めてBigBang氏
に関する実名開示の是非を議論すべきである。さもなくば実名開示の是非は
どうでもよいと言うお墨付きを与えてしまう事にもなりかねないからだ。是非を
論じる事は実名開示の前提にされなければならない。それを度外視した議論
に対するならまずその前提に引き戻す必要がある。そしてそれは現実的には
謝罪の形を取ってなされなければどうしようもないだろう。それは議論する事
そのものを独善的に度外視した事の代償である。それは致し方ない事だろう。
歌田氏もまず実名開示の是非を論じていたしBigBang氏もそうしたのである。
結果的に言えばBigBang氏の実名も泉氏の実名も明かされはしなかったし
松永氏の戸籍名にしても暗黙の了解として伏せられる事になったのだ。さて。