過去から来た男


 さて。
 予め何度か書いてきたように、僕は別に誰かの味方をしている訳じゃあない。
 従って、これから書く事柄が例えば誰かの仕掛けているトラップを崩す事へと
 繋がったとしても、それはそれで仕方のない事だといわねばならないだろう。
 そのトラップの意図を僕は共有していないからだし、そうもなりうる可能性なら
 考えたとしても確実にそうなるという判断にまでは至りようがないからである。
 そして最も重要な事だが、ネットでは誰でもが好きに考えて発言するものだと
 いう原則にもやはり変更がないという事であり、それにも関わらずネット上にも
 相応の自浄能力があるべきで出来るべきだという考えに変更がない事である。



 でだ。
 まずはこれの続き。つまりはここだ。これに関してはやはりミステリーがある。
というのは、この件に関して肝心の御堂岡氏からの発言が出されてないからだ。
勿論すでに書いたように、この件に関して松永氏には事実確認の義務などない。
しかし、御堂岡氏にはその動機が極めて十分にあるはずだとしか考えられない。
この件で氏からの弁解なり説明なり糾弾なり何か何らかの発言さえない事には
非常に違和感を感じる。それはネット上に残されている氏の発言とまず食い違う
ものだ。そこに示されている人物像からすると考えられない行動だとさえ言える
くらい、この沈黙は理解しがたいものである。つまりこれは全くミステリーである。


 まず
 はてなキーワードによると御堂岡啓昭氏は松永英明氏とは相応の交流を持つ
そうである。その関係を何だと形容すれば適切なのかは計り知れないが、松永
氏本人のブログにもそうした関係を裏打ちする記述が見られるところからすると
それなりには信用していいものであるはずだ。姓の読みを誤記している点でも
まあそれなりというところなのだろうが、ともあれ、どういう関係にしろ御堂岡氏
自らそのキーワードとして公表するほどになら大事なものだ、と考えられていた
と言っていいだろう。しかし、そうであれば何故その関係性が御堂岡氏に発言
させなかったのであろうか。すでに書いたように、これは全くミステリーである。

 
 次に
 同じくはてなキーワードによると御堂岡氏はどうも自分自身の名誉に関しては
人一倍の関心があるようにしか読めない。それはそのキーワードの編集履歴
参照してもキーワードそのものからもどう読んだってそのようにしか読み得ない。
そして、そうであれば何故御堂岡氏は件の疑惑に関し何らかの名誉維持を図る
事がないのだろうか。何故何らかの弁解なり説明なり糾弾がなされていないの
だろうか。誰がどう見ても、件のコメントは御堂岡の名誉に抵触せずにおかない
ものだ。その事も松永氏自身のコメントに当然に反映されているのだが、何故か
肝心の御堂岡氏自身はこの事に関しては沈黙している。全くミステリーである。


 さらに
 やはりはてなキーワードを参照し、さらに、御堂岡氏自身のブログの記載から
考えると、どうも御堂岡氏はオウムの件に関して人よりも話が解る、との自負を
持っているようである。という事はつまりそれなりに自分自身の発言に重要性を
見て取っていると言う事になる。その自負がありながら何故、最低で10日にも
渡る放置期間が設けられているのであろうか。その間に御堂岡氏が何もネット
上で発言していなかったのならまだしも、そうとは決して受け取れない各所での
書き込みが確認されている。勿論件の疑惑を御堂岡氏が知らないという事など
考えられない。松永氏から御堂岡氏に話は及んでいるとされているし、松永氏
からその話が伝わってないと考えうる根拠は何もない。全くのミステリーである。


 そして
 最後にBigBang氏についての御堂岡氏の考え方がある。何でも超級の公人
だと考えているようである。勿論公人相手だからといって仮名性の剥奪が正当
化されうる場合というのはごく限られているというべきであろうが、ともかくもここ
ではその「公人認識」が問題である。何故なら御堂岡氏ははっきりとBigBang
氏についての問題には「社会的重要性がある」と宣言し終えているからである。
公益とはそういう事である。従って、そのBigBang氏への評価を普通に考える
なら、当然件のコメントが告発するような脅しもまたそのような問題だと見られる
べきだと言えるだろう。もし公人の問題であるのならそうならざるを得ないはず
である。それにも関わらず御堂岡氏の沈黙がある。ミステリーだという他ない。


 あるいは推論に誤りがあるのかもしれない。しかし、御堂岡氏自身から発信
されているはずの発言群とその行動との落差はどうにもミステリーでしかない。