「仁義」なき批判について

 身も蓋もない弁明 - 山川草一郎ブログ


 R30氏と湯川氏が「取材のテクニック」と言う言い訳を記事の発表された
後にするのは取材対象との「仁義」に反するのではないかと言うエントリだが、
しばらくの間絶句し、少しして納得させられるものである。まず、基本的な事
だが、このエントリにはR30氏の記事については当の「言い訳」と言われる
ものについてをピックアップしたものしか書かれておらず、逆に言えば、当の
インタビューが「どういうテーマで」なされたのかも書かれてはいない。勿論
当のインタビューに至る経緯も書かれてはいないし、インタビューそのものの
出来具合についても書かれてはいない。勿論論者山川氏は「理解は出来る」と
言う事を言ってはいる。しかし、その当の理解の内実を表現する事がなければ
そんなものはただの蓋でしかない。読者にとっては単なるブラックボックス
付けられた蓋でしかないのである。読者は「何をどう理解すれば良いのか」と
言う点については聞かされずに「ともかく理解すべきらしい」と言う事だけを
聞かされる事になる。「もし」当の技術に関してR30氏らが間違っていたと
して、それが「そもそもの文脈でどの程度大きな問題なのか」という事も勿論
全然解らないのだ。単なる重箱の隅かどうかを「見せない」ままの批判なのだ。
この事は「言及している問題を自分がどう理解しているか」と言う点を隠した
ままに、自分の意見を刷り込む事である。これは読者にとって不実であるだけ
でなく、言及対象であるR30氏らにも不実な事だ。印象論や印象操作という
言い方は特にネットでは腐るほど溢れかえっている。そして、だからこそ納得
出来る部分がある。そんな程度の「仁義」であれば、問題にはならないからだ。


 そして

 経緯を考えると、松永氏からR30氏への「仁義」こそ先に問題にすべきだ。
だから、総合的には「どっちもどっち」で落ち着くんじゃあなかろうかと思う。