はぐれ貴族大衆派

 GripBlog--滝本弁護士へインタビュー: BigBang


 じょすぱん氏のコメントだが、絶句する。ここでは主に「大衆」といった名義で
選民主義を非難に晒そうとしているのだが、果たしてこの人自身はどうなのか。
「大衆に悪意を見る」事が選民主義の傾向だとされる。しかし、それ以外にも
「大衆に自分を見る」事しか出来ない場合というものもあり、それはより悪質
である。表面的には大衆の名を語っているのでそれに煽動される人も出てくる。
勿論それは「大衆に悪意を見る」タイプを仮想敵にする事によって、であるが、
果たしてその「悪意」がどれほど現実的なものとして問題視されるのかと言う
点には注意しなければならない。例えばこのコメントでは「理性」を独占する
意識が流されている。勝手に判断するなと言いたいそうだが、人は勝手に判断
するものである。勿論それを表現するレベルでは節度と常識が求められて当然
であるが、誰しもが「勝手に判断する」事こそ「大衆」なるものが現実にある
事の証明であり、あるいは条件であろう。それが出来ないなら「大衆」はない。


 従ってここに「大衆」の名を借りた悪意があると言わなければならなくなる。


 何故ならこれが「現実的には」選民主義であるばかりでなくその「選民」の
地位に自分自身の想定を据えているからだ。社会の名を騙っている。ここには
「社会は自分の想定している通りにしか動き得ない」という傲慢か、あるいは
「社会を自分の想定している通りに操る事が出来る」という傲慢が見えている。
一体この人はどこから来られた選民様なのだろうか。「場所を開ける」という
「社会全体の判断」を「自分個人の判断」に直結させながらしか語っていない
という素朴さもその表れなのだろうか。下々の身分では全く解りかねるものだ。

代弁者と自分を位置付ける事がそもそもの間違いであり、
顰蹙を買い、問題を大きくした原因だよ。誰も君に擁護
して欲しいとは思っていない。自分は、確信犯的で
あっても、その認識は不足してるよって事を指摘している。

 と、トリル氏に言っているコメントなのだが、果たしてご自身はどうなのか。