プロ、ミス

 http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2006/05/kotonoha2_1d0e.html#c7810595

 消す素振りもなしに火付けの楽しみだけ味わっていそうな辺りが醜いので。


 まず


 R30氏のブログで氏が例のインタビューで最後に言った発言「だけ」を
引っ張ってそれに喋らせる向きがまだいるようだが、それは一体何を言って
いるのだろうか。というのは、そこだけを抜き出せばここで前回書いた部分
とさえ齟齬が生じるからだ。それまではともかくとして、ここでは「日本人
って実は」といい、つまり言及対象を「オウム」から「日本人全体」に移行
させている。そしてこの「移行」だけをピックアップすれば、そこに問題を
拡散させて事実上霧消したように見せる効果はあると言うべきだろう。だが、
それについてR30氏本人の異論を受けてもなお「原文に示されている齟齬」
からではなく、恣意的に抜き出した部分から評価すると言うのは不実な事に
なるのではないか。そして、この発言がオウムのロジックそのままだと言う
向きもあるが、それを「逆用」している点について触れないのは何故なのか。
この逆用を見る限り「オウムの言い分を聞いて見てもやっぱり駄目だろうに」
という非難の糸口に相手のロジックを利用していると言う事になるはずだが、
何か違う読み方があるのだろうか。その辺りもやはり「示されて」はいない。
勿論これが「糸口に過ぎない」と言う意味での批判ならその通りで、そこを
もっと詰めて発表すべきだというのなら解る。つまり、非難の程度が違って
くるからもっと区別すべきだと言う言い方であれば、それならよく解る話だ。


 で

 
 僕としては、記事中R30氏がこの界隈について長く喋っているところで
決まって「自分らで批判しないと終わらない」と言っているため、この辺り
こそ引っ掛けじゃあなく取材意図の部分になるのではないのかと思っている。
勿論最後にこんな事を書いたため読後感を捻じ曲げてしまったのだろうけど。


 次に


 上の事とも絡むけど、編集の話。リンクさせたエントリではジャーナリズム
2.0とかいうフレーズが流されてはいるけれど、氏がこれの効果に懐疑的だ
というところを見落とす向きがいるように思う。それを狙ったネーミングなの
かも知れないが、それはともかく、この「そのまま」出されたものをR30氏
自身がどう評価しているのかというのはじわじわと滲んでいるようにも思える。
というのは、まず勿論「ついていけない」と喋っているコメントがあるからで
あり、次に、その決定がなされた時期が仄めかされているように読めるからだ。
少なくともそこで「言い分」としては、何度も「編集するべき/そのまま出す」
という押し問答があったように書かれている。そしてこれについて泉氏の方は
現時点で何も発言がない。だから取り敢えずこれを信じる事にすれば、これら
押し問答が「いつ」行われたのか、また、より正確には「少なくともいつまで」
行われ続けたのかが推測出来るように思う。というのは、これがインタビュー
前で終わっているはずがないと言う事である。編集なしの決定を踏まえた上で
「事後の編集を当然に想定したテクニック」をインタビューの現場で使ったと、
どういった次第で考えられるだろうか。そうする理由があるようには思えない。
ありうるとすればよほど気を抜いていたと言う事になるのだろうが、それなら
そもそもこういった押し問答さえあったと考えない方が辻褄があうように思う。
そしてそうすると、理由はともかくR30氏は「自分が折れた」結果、最近の
非難を身に受けていると言う辺りになるのではないか。では、何故折れたのか。


 それが結局「タレント」と言う事なのだろう。それは例えば今回のエントリ
になるまで内幕を見せようとせず、無編集のまま発表する事の責任が一体誰に
あるのか解らせようとしなかった辺りにも関与しているように思える。そこに
心理的な抵抗感がなければ辻褄は合わない。勿論、実際は押し問答がなかった
とか、あるはずもないと納得させる根拠のようなものが示されれば話は別だが、
そういうレベルどころかまるで無編集はR30氏の発案ででもあるかのように
氏を非難する向きがあるほどである。それは結局原因を隠す事ではなかろうか。


 そして


 今更だが、この言い方が実はこっそりとした示唆だったのではないかと思う。