「撃たれると痛い」

 何か割りと前に衝動買いしたか衝動借りした、パーネル・ホールの探偵
シリーズ第七作。原題は「SHOT」だが、この訳題は全く似合いの題名
である。このシリーズは派手さなど欠片もない探偵物である。スタンリー・
ヘイスティングスは出来れば銃なんて撃ちたくないし、それどころか凶悪
犯が怖かったりする。話自体も、ぶっちゃけて言えばスジそのもので印象
的だったりする訳じゃあない。異色サスペンスと言う言い方自体テレビの
二時間ドラマではありきたりだったりする。だがこのシリーズが良いのは
その何でもない生活感である。「撃たれると痛い」。そんな当たり前の事。


 

撃たれると痛い
撃たれると痛い
posted with amazlet on 06.04.20
パーネル ホール Parnell Hall 田中 一江
早川書房 (1995/06)
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 J2氏のところと町村氏のところでisedの議論や共通ID制に関しての
まとめが出されている。が、とりあえずその内容には踏み込まず、割りに
よく見かける共通ID制への異論について、ここで検討してみる事にする。


 それは、共通ID制が「実名での権力を行使できる強者のためのものだ」
という異論である。これは、例えば現状で実名を使ったブログなどをする
リスクが職業上あったりすると言うところが理由として出されているもの
である。そのため、出来る限り「匿名表現の自由」を守りたいという事に
なる訳だ。しかしコレはちょっとどうなんだろうかと言う気がしてしまう。
というのは、現状ではその「強い」人たちも気兼ねなく名無しに偽装して
何かを企む事も出来なくはないからだ。勿論それは「弱い」人たちにでも
出来る事だが、特に専売特許ではない。その意味で、オルタナティブとか
言う言い方には違和感がある。「強い」人たちがその名を持ってくるのか
どうかはその人次第であり、いくらネットだからと言ってもそれがまるで
効果がないと言う事もないだろうからだ。つまり、こういう意味では今の
ネットはあらゆる人へのガードが作用していると言う事は言えそうである。

 
 これに対して、共通IDを導入すれば、それなりには名無しを偽装する
事がリスキーに考えられるようになるだろうから、それを使って何らかの
企みをする事は今よりは難しくなるだろう。そしてその難しさは「強い」
人の方が大きくなるとも言えるだろう。俗に言う有名税というものと同じ
考えでそうなると考えてもそれほどおかしくはないだろう。さらにそれは
特にダメージを与えてしまったりする場合に「だけ」機能する抑制機能の
はずである。特に何もなければ仮名を使ったままで当然問題ない。つまり
あらゆる個々人につくガードをちょっと弱めるが、代わりに問題解決への
ルートを使いやすくなるのだと考えれば良いと言うことになりそうである。


 また


 ネットがオルタナティブであるかどうかと言う辺りになるとネットから
その外への影響関係も問題になると言う気がするが、とりあえずここまで。