「ああ・・・オメーの兄貴は最期にオメーを庇ったよ」

荒木飛呂彦先生「ジョジョの奇妙な冒険」30巻


 「ホテル・ルワンダ」の件で「日本人」って立場を
強調した事についてだが、これを身贔屓としか見られ
ないのは酷く欺瞞的な事に思える。世界精神になった
つもりかどーかはしらないが、そうやって歴史の背景
から自分を切り離すというのもまたポジショントーク
だという事。否定的に喋る事で問題の当時に見られた
気質を乗り越えられたかのようにも考えうるからだ。
そこに現実的な持続を見ていないなら上っ面しか見て
ないという事になるのだ。殊更に贔屓する事と彼我に
横たわる持続を思う事とは違う。「受け継いだ者」が
そうしなければ誰がそれを思うのだろうか。虹村形兆
という殺人者についてその悪性を知りつつ「悲しむ」
事は弟の億泰の権利でありその億泰が兄形兆に庇って
貰った事を一抹の誇りだと見なして何故いけないか。


 勿論嘘言っているだけの身贔屓なら悪くもあろう。
しかしそれでも虹村形兆が人間である以上その尊厳を
身近い誰かが誇るくらいはやはり許せる必要がある。


 政治的には、拉致被害者家族が「飽くまで家族」と
言う立場にたつとかイラクでの人質の家族もそうした
とか言う例が「効果的」な気がするが、詳細はおく。
この事は行政府とは実際は関係なしに成り立つからで
あり、ともかく「身近い」かどうかが肝要だからだ。