無罪モラトリアム

 一日あけてみたがpsycho78氏に対して「追及」も「謝罪」も特に明示的にはされて
いないようだ。じわっと態度を変えたかのような仄めかしはなくもないにせよ、それは
特に「事の終わり」を意味しない。それでは疑われた方にとって何の意味もないからだ。


 そして
 ここで注目すべき事は「戦う」という向きにその「戦いを終える」能力があるのかと言う
点である。psycho78氏に対して人違いだったと認めるのなら相応の謝罪なりが必要
になるはずだからである。しかしそれがさほど明示的ではないのなら、果たしてそこで
言われている「戦い」を治める事もその程度ではないかと思われても仕方がないだろう。


 さらに言えば
 それは公共の領域で「自分自身」「個」について負いきれないと言う事にもなるだろう。
何にせよ松永氏ではないかと、しかもその策ではないかと疑いをかけたのなら、すでに
その時点で「違うなら無論何も言う事はない」などという無責任な発言は許容出来ない。
それは松永氏に要求しうる責任をもろともに引き下げるものだ。無責任が横行してたり
松永氏ではないかという疑惑が根拠もなしに吹聴されたりしていれば「どうせ信じない」
という発言に説得力が出てきてしまう事になる。それは「追求」の本意ではないはずだ。