表に現わす事

【さいこせぶんてぃえいと】の【ざいあくかん】の
【うむ】、これはどこにあるものだろう?それは
ぼくの【こころのなか】だよね?【ざいあくかん】
は【こうきょう】にあるものじゃないよね?
【それぞれのこころのうち】にある。
あらやだおくさま、へんだとおもいませんこと?

 psycho78氏だが、これも言い訳の類。「表現されたもの」はすでに私的な
領域にはない。それはその表現が「他人を巻き込んでいる」から。その上で
その「表現されたもの」だけに依拠して批判が行われた場合は内心にはまだ
一歩も踏み込んではいないと言う事になる。見せられたものを見ただけの話。


 そして
 「印象操作」は「他人の内心に踏み込む」事になるので、その点を指摘する
事は「他人の内心を守る」ために必要な事。つまり、ここで僕の論理をまるで
逆転出来たような言い方をしてもpsycho78氏はさらに間違いを犯している。


追記:なるほど

【じじつかどうかはふかくてい】なのは【おくそく】も
【じゃすい】も【まっとうなすいり】も【おなじ】だよ。
【まっとう】かどうかは、【じじつがあきらかになって
から】はじめてわかるものだよね。

 向こうの追記部分にこうあるのだが、これを見る限りでは氏が「合理性」とか
「憶測」と言う言葉の意味を理解出来ていないとしか読めない。憶測と推理で
「かろうじて共通する部分」が「事実かどうか不確定」だと言う事で、話は逆だ。
論理に隙があると言う事を当の論理から明らかに出来ればそれは「真っ当な」
推理であり、その「当の論理」でない点を理由にしてその論理に難癖をつける
ならそれは「邪推」とか「憶測」とかと言う事になる。違いは歴然。そしてその
歴然とした違いによって、今までの問題への追及の正当性がある事にもなる。
そういう訳で、この人が誰であろうとこの人の主張はこれまでの追求を事実上
無効化させようとする事にしかならない。その意味でこの主張は批判すべきだ。