アイデンティティ

GripBlog報道メディア設立企画書について思うこと(8)----結局BBは何が言いたいのか: BigBang

 
 BigBang氏の疑問がまとめられたエントリだが、そこでの論点は三つである。
「松永氏の疑惑」と「泉氏の言い分」と「他の人の沈黙」と言う辺りに落ち着く。

 
 では


 それぞれについて見てゆく事にするが、まず、一点目は問題にはならない。
BigBang氏自身が松永氏自身を問題視してないからだ。問題にした部分は
その所属だとされる。脱会問題。そして、それははっきりしたとされている。
そこで「限りなく現役の」とも言われているが、やはり根拠は一言さえない。
従って、追求すべき根拠を「示さなくとも納得出来る」程度の疑念しかない
事になる。本気で疑っていればそれを明らかにすべきだという根拠が必要で
あり「気になる」と言うレベルと「疑惑がある」という段階は全然別の話だ。
勿論滝本弁護士の認定が「実質的な脱会の手助け」と言う戦略的なものだと
勘繰って見る事は可能だが、そうであれば、さしたる根拠もなくその戦略の
内幕ばらしをしてはいけないはず。揉めさせたいという訳でもないだろうに。

 
 二点目。泉氏の言い分だが、これを問題視しうるのは「誰」なのだろうか。
ジャーナリストの公共性といったって、そもそも企画は潰れている。そして
潰れていなくとも、どの程度の影響力があったのか。泉氏の個人的な信用が
どうにかなるだけでは済まないと言う積極的な根拠はなんだろうか。泉氏を
ジャーナリストだと、しかも影響力あるそれだと今認めている人がどこかに
いるのだろうか。本人でさえ「へっぽこ」を自称している。勿論企画自体に
関与していた人が「どうしてくれる」と言うのは納得のいく事だが、そこに
公共性なんて全然ない。単に内部でやればいいだけだ。関係ない人に疑いが
吹っかけられている状況を見てもなお強行する理由には全然ならないはずだ。
期待してくれた人に応える事は必要だ。だが期待してもなかった人を巻き
込む必要はどこにもない。内輪揉めで他所に迷惑をかけているか考えるべき。


 そして三点目。他の人の沈黙だが、これはBigBang氏自身良く解っている
はずの事ではないだろうかと思う。「通常ならばタブー」である話に敢えて
踏み込む積極的な理由があるだろうか。BigBang氏のようにブロガー懇親会に
同席していた訳でもなければ、一体何が理由になるだろうか。さらに問題は
まだある。「第二のume」にさせられても誰もきっと責任は持たないだろうと
言う事だ。「噂で失職自己責任」なんて言い分が出されていれば誰でもそう
考えて当然だし、その沈黙を責められなくなる。その上で現状の事実がある。
発言しているものはもうほとんどブロガーじゃあなくなっている。その事が
示す事実は「自分自身を担保として喋るべき事なのか」という問題の程度だ。
どう見ても使い捨てハンドルネームでしかない人が言っているだけだという
時点で、この「疑惑」の実態がどんな程度なのか推し量れる。この事は何も
「実名で担保すべきだ」というほどラディカルな事じゃあない。単に「自分
自身の実態と、当の発言を繋げるかどうか」だ。例えば「私」氏や「さ」氏と
いったように、自分の発言「そのもの」の連続性を担保しながら喋ればいい。
そうしないのは「自分の実態」を「敢えて」隠そうとしている事でしかない。
実態のないものを信じるべきじゃあないという話はどこかで見たが、それを
「隠そうとしている」者の言い分を真に受けて良いのかどうかは解るはずだ。
それは信用がゼロなのではなくむしろ、と言う事になるはず。そしてこの件
に対する恐怖心は理由にはならない。「使い捨て固定ハンドル」をこの件に
限定して作って使うだけで済むはずだからだ。それもしない理由は何なのか。
その辺の勘繰りはどうでも良いが、それを信用すべきかどうかは問題である。
アイデンティティは「自己同一性」なんて訳されるが、要するに「そいつが
一つの同じそいつである事」である。そして一回使い切り用ハンドルネーム
にはそんなものはない。IDを示すつもりのない相手への信用は知れている。


 後

 
 ほとんど小ネタだが、BigBang氏は「企画書に起こす作業も」「システムの
部分は」と言う付言を見過ごしながら「5:5」と言う比率を引用している
ように見えるがどうだろう。泉氏も雑だが、この読みもやはり雑に思えるが。
そしてもう一つ。「封印」と言うのを聞いて僕はカルーアなんかを思い出す。