そして

オウム事件のころをまた思い出す: 極東ブログ

私的な心が傷のような部分を見せることである連帯の感性を喚起する

 この言い分を真に受けるなら、してはならない事というものは法の埒外にも
明確にあり、また、正確には「あるはずだった」といわなければ理不尽である。


 そして

 「自分から」「望んで」その領分に踏み込む事に決めたのなら、その責任は
それこそ「自己責任」。訴訟も非難も脅しも何ももう愚痴の材料には出来ない。