焼き栗拾い

松永英明さんへインタビュー ①: Grip Blog <Archives>
松永英明さんへインタビュー ②: Grip Blog <Archives>
松永英明さんへインタビュー ③: Grip Blog <Archives>
松永英明さんへインタビュー ④: Grip Blog <Archives>
松永英明さんへインタビュー ⑤: Grip Blog <Archives>

 そして

http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2006/04/kotonoha_06d0.html


 R30氏は「どれだけの人が読了できるか」なんて書いているけど、そう
無茶ではない分量なので、さしあたり読了。要点としては松永氏個人と教団
及び教義という二つの層に関して話がなされている。そして、松永氏個人の
スタンスが教団そのものにも批判的であったりするところから、何か教団の
反省という観点からすればいささか不謹慎だと言われたりもするかと思えた。


 しかし


 勿論そうでなければ松永氏の脱退理由との辻褄が合わないし、不良信者で
あったという話とも食い違いが出てしまうだろう。そして教団の一員だった
点の反省に関しては、現状は更新停止中のまとめサイトの方などで追及して
行けばいいのだろうと思う。つまり、このインタビューの使い方として教団
員だった事への反省などを求めるのは、性急に過ぎるためによくないだろう。


 で

 
 松永氏個人の考えに注目すると、知的な関心がベースにあるように思える。
世界観の統合であったり再構築と言う辺りが修行や教義の正当性などよりも
重視されていると言った具合。また、現代表の権力志向に対しての警戒心も
指導者への信仰が理由ではなく、俗な意味でもよくないと考えているようだ。
そういう意味では松永氏個人は受け入れられやすい気質を備えていると言う
事はいえるのだろう。教祖と周囲の権力関係を解き明かす役どころとしても
適役なはずではあるのだろうなと思え、そういう利用価値もあるかと思える。


 ただし


 そういった関心の方向性と知的な能力との適正から考えて、むしろここで
引っかかるところを感じたと言う事を念のため記録しておく。氏の関心分野
から言えば「霊的指導者としての麻原被告」と「テロ指導者としての被告」
との整合性を求める事などは必須当然の疑問であり、また、全く経験のない
分野と言う事もないはずなのではないか。そういう意味で、11年をかけた
成果がこのインタビューではまだちょっと、という辺りに留まるのが惜しい
と思える。それが単にインタビューの現場では話しにくかったのか、または
それを「解き明かす事」への心理的な抵抗感があったのかまでは解らないが。


 そういう意味では、R30氏が「整理が付けられていない現実」と言って
いるところは、正直言ってちょっと擁護的に言い過ぎなのではないかと思う。
インタビュアーの中でも「損な役回り」を自覚的に仕方なく引き受けている
だろうなと言うところは感じられたので、相当にやむをえないとは思うけど。