「貴様、見ているなッ!」


 共通ID制に関する議論界隈では、さながら実名登録が直接的に監視社会
化を誘引するだろうという見込みがなされていたりする。それは一理のある
発言ではある。しかしながら、こと監視社会と言う事態だけを考えてみると
むしろそこにあるなのは当の固有名詞より匿名への視線であるのではないか。


◆監視社会の匿名性
 

 監視社会には匿名化が必然的に含みこまれている。というのは、固有名詞
としての他人よりも、誰であれ異他的なものとしての相手という視線こそが
監視そのものであるからだ。隣のおじさんや八百屋のおばさんなどから出る
親しみの視線が監視社会を構成すると言う事はない。そこにあるのは相手を
誰だかしっかりと理解している者の視線である。それが親しみの視線であり、
勿論この視線は「誰だか解らない」という匿名の者相手には投げられえない
ものである。しかし逆に、相手の固有名詞を理解してさえいればいいという
話にはならないところが要点である。というのは、相手が誰だか解る事から
直ちに親しみの視線が出ると言う訳ではないからである。形式的にその名が
解っていてもどういうものだか解らないと言う場合は、匿名の相手に投げる
視線と同じ「見知らぬ者への視線」「匿名への視線」が投げられる事だろう。


◆視線の含意と他性


 ここで問題になるのは、その視線の含意である。そしてこの含意は相手を
単純に知っているかどうかに依存するのではない。犯罪者への視線を考える
ならすぐ解るように、相手を「知っているからこそ」その者を「見知らぬ者」
とする視線が投げられる場合と言う場合はある。そしてそうなる理由として
当の相手が一般的な人間のモデルからこぼれ落ちているのではないかという
疑念があるだろう。つまり、その疑念の前では相手が誰だか知っている事は
むしろ注意対象としての指標になるに過ぎず、個々人同士の親しみを育んで
くれる梃子にはならないのである。そしてそうであるとすれば、この人間の
モデルに対して敏感になる事が、監視社会の下劣さに対して必要な事だろう。
監視社会の投げる視線は「誰に対してだろうと」まるで見知らぬ者に対する
ように投げられているからである。だからそれは個々の人間の差異を捨象し
混同するという点で下劣なのである。それは粗雑な見方しか出来ないからだ。
 

◆地域の人間モデル


 この監視社会の下劣さに対してある程度抗するための試みとして、地域の
結束を高めようとするものがある。ここでは、これについてのアイディアを
記録させる事にする。この提案は例えば監視カメラによる監視に代わるもの
としての巡回員の提案である。監視カメラの視線は粗雑だが、人が巡回する
場合は巡回員への親しみと巡回員からの親しみがその粗雑さをカバーしうる。
巡回者としては警察のOBと警察予備軍としての若者を組み合わせて使うと
良いだろう。警察OBのノウハウと信頼があれば巡回者への信頼もある程度
出てくると考えられるだろう。また、出世コースとは無縁であろう交番勤務
警官の退職後の受け皿にも使える上に、若者と組み合わせる事でノウハウの
伝達にもなる。巡回員の役割としては基本的な見回りと通報、そして挨拶の
普及と言う程度にしておけば警察から情報が漏れると言う事も考えられない。
さらにこれがうまく機能すれば、高齢化社会での世代間断絶を防ぐ一助にも
なるだろう。ノウハウ担当と体力担当という分担をするから警官一人よりも
巡回員一人を安く雇う事が出来るだろうし、無人交番の解消にも繋がりうる。
勿論体力担当の若者は警察や警備会社に入るためのステータスを得るだろう。


 この巡回員の意義は、そこに生きた人の目を介在させる事で地域の人間と
言うモデルを機械の粗雑さから引き離す事が出来るという事にある。それは
生きた人間の放つ視線であれば、その親しみの程度を変更しうるからであり、
また、それが親しみの視線として十分に共有されれば問題は解消するからだ。
勿論、マンションやエレベーター内などの死角が多く巡回も難しいところで
あれば、監視カメラにもまだ活用と活躍の場面がある。要は使いようである。


◆パッチを当てる事


 なお、このような地域の視線によって監視に変えるという方策に対しては
隣組的な監視がなされるのではないかという懸念がある。勿論それは確かに
懸念されて仕方のない事である。しかし、監視に対して対処しうるのは当の
監視に人が介在しているからこそであって、逆に言えばカメラを使えば何も
出来なくなりかねない。カメラは誰がどう使うのかも解らない機械だからだ。
これに対して具体的な人間を巡回させる場合なら、その視線が下劣になった
場合は、それを外部から感知できると言う事がある。それは公然と放たれて
いるからだ。監視カメラの監視者はそうではない。そして地域の人間モデル
からこぼれているのではないか、と言う視線が公然と放たれた場合の対処と
しては、そういった異他的なものを消化するプロの養成によって当たる事が
出来るだろう。セラピストなどのプロでパッチを当てるというやり方である。


 
◆「異他的なものを同化する消化力」に関連するエントリ
  平均化主義は何故そう呼ばれるか - 売文日誌