「批評と臨床」

 
 http://anotherorphan.com/2006/03/post_224.html
 

 ちょっと妙な感じを受ける。いわゆるつきの
文学批評と批判が混同的に見られているのでは
なかろうかという気がする。というか、論文に
「目的や意義がない」というところの次の文に
「権威を生み出すために」と来ると、どうにも
おや、という具合になる。そしてもっと言うと
どういった文章もそういう意味では目的や意義
なんてないって事まで言っておくべきなんでは。


 つまり


 それを「より良い」何かのためだと考える事
そのものをも仮象として退ける事がないのなら
「人間はそんなに偉く出来ていない」といった
ところから作者たちだけを聖化しているって事
になってしまう。そういう意図はないのだろう
けれど、それが「批判されて面白いわけがない」
という点でしか水を向けられていないとすると、
どうにも、となる。そして何かのためだという
ところを退ける事は、力というものが便宜的に
しか目的を取らないからであるし、また、生が
力であるところからして、むしろ悦ばしい話だ。


 勿論


 そういうニーチェ主義者みたいな事を言って
見ても誰も彼もがそういう力を表現出来ている
という事にもならないし、単に金目当ての文を
書く事だってあるのだけれど、ま、気構えの話。