http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060327/ims060327


 メモの仕方で自由な発想が妨げられる事を嘆く
エントリ。他の学科とかは知らないが、僕は卒業
論文指導の最初に一応メモ取りの仕方は教わった。
それがどんなのだったかは忘れたのでアレだけど、
ま、今やっているメモの具合でも書いてみようか。



 で、エントリを見るにアイディアを区切る事が
重要なんではないか。つまり、アイディアの流れ
全部を一通り揃えてから記録に移す、と。記録に
入る時点で起承転結なんかの一揃いのイメージが
あれば、記録の精度は上がってくるはず。という
のは、全体をイメージしながら個々の小さな点を
配置出来る。記録に入る時点からすでに大雑把な
取捨選択が出来る。勿論、そうするためには試行
錯誤がいるけれども、その試行錯誤はメモ取りを
簡単にしてくれる。何故なら何度も繰り返し試行
錯誤して「練った」アイディアはより記憶に残る
からだ。つまり、メモそのものには単語だけとか
ほんのちょっぴりの「鍵」だけで済むようになる。


 つまり


 現実的にメモ取りをする場合、思い付きをどう
いう流れで表現するのかというイメージを何度も
繰り返す。勿論最初は曖昧な早送りになるだろう
けれど、その連続再生を続けるうちに次第に細部
までつめてゆけるようになる。勿論連続再生して
いるうちに前後関係のバランスを考えたり結論を
先取りした伏線を仕掛ける事も出来るようになる。


 とはいえ


 ブログの記事にそこまでの練りこみと寝かしは
やってられないというのはある。広告の記事とか
ならともかく。本を読んだメモもいっぺんは最後
まで読んでから理路を追うためにメモってるのに
だらだら書かなきゃ解らなくなるという事もある。
「差異と反復」なんてもうその典型って奴だった。