「奇跡など一瞬で この肌を見捨てるだけ」
「こんなにも無力な私を こんなにも覚えてゆくだけ
でも 必要として」
「ことのは」騒動のバッシング度に辟易している
エントリ。しかし、やねごん氏が言及しつつ現状は
留保している「加害者になりうる事への想像力」を
考えれば「だからこそ」どういう点がなお「批判」
されるべきかというところは必要になってくるはず。
ただ、この点は結局「どこまで知っていたのか」
という点を考え合わせなければどうしても不十分な
ところは残るだろうし、その客観的な把握も難しい。
勿論それでも注視すべき点は十分にあるとは思える。
だがそれは責任がどうこうという文脈より、むしろ
対面する個々人の安心感の文脈の方が適切なのでは。
勿論両氏が責任を追及している訳ではないのはよく
解るけれど、何となく理由を探す素振りが気になる。