Do Justice to Yourself
良識とはそれを鮮明に捉え、突き放し、決して許容しないという働きで
2007-07-27
あって、本来ならばごく自然に集団の意志として機能すべきものである。
そこにリスクとなんらかの別の要素が個人に要求されるなら、その
理不尽は許されざるものとして誰かの手で指摘されなければならない。
さて。
Ereni氏の発言がこのように身勝手であるのは無論今に始まった事ではないが
ともかくも批判を始めよう。この発言は論外である。何故ならここで正義が余りに
無害なものとしてしか考えられていないからだ。だが正義とは危険なものである。
それは人をいかなる事にも駆り立てうる。無論殺人にもだ。そうであればそうした
危険物を取り扱う奴に相応の能力が求められるのは当然だし、安全のためにも
そうすべきだ。それを個人の責任から切り離して「集団の意志」などといった実に
気紛れなものに委ねる事はそれ自体危険だしそんな一個人の正義感としてさえ
表明されていないものを絶対視していると言うのでは全く危険極まりない状態だ。
何故そこで他人の視点の方がより正しいかもしれないという想定さえしないのか。
自分の足元は誰かと共有されているとしながら、何故異なる考えを想定してさえ
いないのか。正義を扱う事そのものにリスクがあるというべきなのに、何故その
リスクを当の正義について喋る奴から捨象して差し上げられるというのだろうか。
その危険性を引き受けもしないし出来ないのなら正義を用いて誰かを守るなんて
心地よい事をする資格はないだろう。それなのにそれを強行しながら他の誰かに
その責任を押しつけるなどというファナティックな事は恥ずべき振る舞いであろう。
他人が一線を越えていると言う事を指摘する事はともかく、自分がそうなっては
いないのかどうかをまず保障できないのなら、一体誰が話に耳を貸せるだろうか。