「破壊魔」
さて。
だから誘導の意思を持って近付く可能性はないとは言い切れないんですか、
2007-02-18
という話。その人が容易いと考えるかどうかも分からないでしょう。これは
オウムの話と離れて、自分の属性を隠して、属する団体の都合のよいように
働きかける事はいくらもありうるんですよ。自分の意見に都合のよい資料を
提示するとか、食い込めば誘導は可能です。それを成功させるのは困難で
あっても、そういう手段を考える可能性がゼロとはいえないでしょう。
Ereni氏の話はとかくぐだぐだ散逸して論点が回収される見込みが見えないが
ともかく根本的な問題の一つは上にあげたものになるだろう。だがこの事自体
さしたる問題にはならない。そしてその事自体だけであればEreni氏は解って
いるつもりでいるのだろう。そういう問題を指摘されないようにすべきだ、という
つもりでいるのだろう。だがそこで考えなければならないのは優先順位である。
というのは
ここで挙げた問題点が何を予防する効果を持つのかと言う事をEreni氏は余り
十分には見ていないだろうからだ。それは松永氏への非難を予防する効果が
あるとされるのだろう。しかしここで考えなければならないのはその予防効果
と副作用のバランスだ。Ereni氏の発言はその辺りで考えなしにしか見えない。
つまり
現実にはそんな誘導は行われなかったし行われていないし行われないだろう
という他はない。そして再び明日か明後日かに懇談会が行われると言う状況
でもない。そこで「行われる事もありえた(が、実際は行われなかった)行動」
について問題にし続けるのはそれ自体問題だろう。ノストラダムスの大予言が
当たっていたかも知れないとして他人に行動を要請するのは実際お気楽な事
であろう。それは、ややもすると終末論の火事場泥棒に陥りかねない危うさを
持つ。199X年世界が核の炎に包まれえたとかいっていいのは、その発言が
冗談の範疇で済む場合であるかよほど深刻で差し迫った自体の予防のため
に限られるだろう。そして、今の現実はそのどちらでもないとまず知るべきだ。