「ずっと眠っている 私の愛の揺り籠」

 さて。
 http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20070119/p1

 
 いくつも問題はあるが、まず指摘しなければならないのは冒頭での問題提起だ。

システムとしての社会論理から敷衍して批判すること、また、システムが基盤に
している倫理から批判すること(つまりシステム上いかなるメリット、デメリット
があるか)と、それを唯一絶対無比な正義とすることはまったく違うことである。

 これは正確ではあるが、単にそれだけであり、実際は的外れな問題提起である。
 というのは、この問題提起が松永氏のエントリで問題にされているものとは全然
 噛み合っていないからだ。それは何もリンク先の間違いというだけの事ではない。
 ここでの文言を見れば、何か松永氏が「社会論理を唯一絶対無比な正義とする」
 事を問題視したかのように読めるが、さてそれはどうなのだろう。その点について
 Mr_Rancelot氏はほとんど理由を述べておらず、次のように述べるくらいである。

ある価値観を別の価値観から批判することを仮に「2ちゃんねる型正義感覚」とする
と、それを批判するのも、相対に過ぎない自己の立場に絶対を委ねることではある。

 ここで注目すべきは「とすると」という仮定がほとんど巧妙に含みこまれている事
 であろう。それは形式上断言を避ける慎重さを表しつつ、その理由について全然
 述べようとしていないアンバランスな発言である。そしてそこでバランスを失った
 読者は次の文言にも容易に巻き込まれてしまうだろう。つまり「絶対を委ねる事」
 などという具体性からかけ離れた文言をも承服してしまいかねなくなるのである。
 だがすでに確認しているように、そもそもそこでの前提として示されている仮定に
 ついてMr_Rancelot氏はほとんど理由を述べておらず、いきなり仮定したのだ。
 しかもそれは松永氏のエントリを正確な読解とはとても思えないものだ。そこでの
 問題は、タイトルにも表れているように「いやらしさ」であって、絶対性なんかでは
 ない。絶対か相対かという極端にして不自由な二択ばかりに注目するならともかく
 何故責任とその転嫁という解りきった問題を回避するのだろうか。その回避なんて
 してないつもりなのかもしれないが、次の文を見るにそれを信じるのは随分難しい。

ここで何らかの共同体を想定してそれが危険だと考えているのであれば、
松永氏の意見もつまるところ「社会正義」に基づいているということになる。

 それがどうしたと言うのだろうか。社会正義に基づいてはいけないとでも言うのなら
 ともかく、松永氏が社会正義に基づいて意見を述べていけない理由がどこにあるの
 だろうか。もしそれがあると考えているのなら、それは松永氏が単純に社会正義を
 否定しようとしていると言う誤読以外の何に基づくのか。松永氏は、当該エントリで
 責任に言及している。正当化にも言及している。それは単純にそれらを否定しよう
 とする文脈などではなく「きちんと責任を取るべきだ」「無理な正当化はすべきでは
 ない」とする、至極真っ当な文脈で言及されている。それのどこが問題なのだろう。
 松永氏が当該エントリで一貫し問題にしているのは「社会正義に名を借りた責任
 放棄の姿勢」であって、逆に言えば「その名に値する社会正義」というものがある
 とすれば、それはそもそもちっとも問題になどされていないのだ。勿論それがある
 という主張で松永氏を説得するのはおおよそ骨の折れる作業であろうが、卑しくも
 正義を名乗るのであればそのくらいの労苦を予め引き受ける覚悟はあるべきだろう。


 そして
 すでにここまででもMr_Rancelot氏のエントリからほとんどの正当性を奪えてしまう
 ような気がするが、なお問題は残っている。それは次の下りが事実ではないからだ。

僕が彼に対して鼻白むところがあるとすれば、例えば彼のブログでなされて
きた別の人による他の人物の個人情報の暴露を管理人として未だに放置して
いる
という事実があるからであり、松永氏の側にたって別の人に加えられて
きた中傷や罵倒を掣肘することがまったくなかったからだ。

 勿論これが事実ではないからと言って、Mr_Rancelot氏の判断だというだけじゃあ
ない。その言及が正確に事実を反映しているとはとても言えないような代物なのだ。

『実名が残っているコメントがあったのでrequiem7の投稿を一つ削除。
 あと、この話題についてここでやるのは以後禁止。』(2006/12/25 20:12)

『だからBB氏の公的性質についての話題はここでやるの禁止。』
                                   (2006/12/25 21:21)

『ここで書く必要はないだろ。自分のとこなり、相手のところでやるなら、
 それはこちらの許可とか指示とかの範囲外でしょ。』 (2006/12/26 00:48)


 お解りになるだろうか。それともやはり解らないのだろうか。ここに引用された記録が
 引用者j_m_w_tによる改変を経たものなのかどうかは確認すればすぐに解るだろう。
 誰にでもそれは確認出来る。そうしようとする気さえあればいつでも誰でも出来たの
 である。そうしようともせず非難めいた言辞を吐く事の出来る人間の気持ちは僕には
 やはり解らないのだが、それでも次のようなエントリの目指すところなら僕にでも解る。

 以後、id:BigBangさんの実名と思われるものならびに 
 実社会での仕事等に関する内容を含む発言を、この場所 
 で投稿しないこと。書き込まれた場合は適宜削除します。

 お解りになるだろうか。解らないのだろうか。解らないフリをしているのではないのか。


 従って
 次の下りは要するにありもしない出鱈目に関するお気楽な噂話に過ぎないのだろう。

彼の言う、社会正義からの批判を相対化させる試みが、現実としての暴力の
まえにむしろ肯定的に作用してきた、という経緯を指摘しておく必要がある。

 そして
ここで指摘しておく必要があるのは、むしろこれが現実であり、暴力だという事である。
その上でどういう社会に住んでみたいかといった質問を投げてみても、きっと話は噛み
合わないだろう。その質問自体は非常に有意義だし松永氏に興味を持つ者ならおよそ
誰にとっても興味は尽きない質問だろうと思えるが、これでは答えは得られないだろう。


◆おまけ
 勘のいい人ならここで気がついたかもしれないが、松永氏は、実際自分自身非難した
 苦情受付システムと同じ対応をしてしまっている。だが、これも結局は矛盾していない
 ものだと考えられる。何故なら松永氏と当該掲示板の削除システムが例え同じ対応
 だったとしても、発言の削除に関係する他の項がちっとも同じじゃあないからである。
 端的に言えばBigBang氏には松永氏を信じる事が出来るからだ。両氏はネットの外
でのコンタクトがある。従って、当該システムとはそもそも前提が全然異なっているのだ。


◆ほとんど同刻追記:おっと
 今見るとMr_Rancelot氏のところで松永氏とのやり取りがあるようなので、エントリの
 引用文をより解りやすく強調する事にしよう。勿論全て強調は引用者j_m_w_tによる。