Ring My BELL

 今夜 始まりの朝を思い出そう yeah
 みにくい 思いが支配してしまう前に

 あなたと見る天井なら 
 プラネタリウムみたいに 見えた

 そう その心 今 引き出して


 さて。
 ほとんど誰も正直な表現を怠っているであろう現状において、ほとんど唯一
 正直な告白を待ち望まれるというのは確かに馬鹿げた状況だろうとは思う。
 殊に馬鹿げているのは、誰も彼もが自分の意志さえ示すつもりがないよう
 なのに、それでいて他人にはその内面深くに忍び入る筋道を晒せと言って
 いるところだ。内省を晒すべきだというそんな理屈に使われるのは決まって
 社会のためとか被害者のためだとか、あまつさえ書き手当人のためだとか
 いった代理の構図だ。代弁である。クソである。その代理の構図が隠して
 いるものはその代弁者当人の意志である。それは表現として相当下品だ。


 それが下品であるのは、他人に求める正直さを自分には欠片も求めない
 からである。他人には内心深くへの筋道を晒させようとしながら、自分自身
 それを求めると自任する事もないのでは、アンバランスさは明らかであろう。


 そして、その代弁の下品さはそのアンバランスさを度外視させるトリックに
 さえなる。社会や他人や自分自身を全く顧慮しない人なんてまずはいない
 からだ。代弁はその常識的な顧慮を利用する。そんな関心に付け入るのだ。
 そこで行われるのは自由の偽造だ。付け入られた関心、利用された顧慮を
 あたかも自分自身で決めた事だと言い募る仕草がその後には続くのだろう。
 そうやって責任を押し被せながら、求めるまま他人を操作するのは、下品だ。


 従って
 松永氏の現状について言うべき事は単純な事だ。「僕はそれを読みたい」。